すぐそこの無縁家族;その3
妻をめとり、三人の子を成した。ひとは合わせ鏡だ。主人が愛情をかけた分だけ本人に帰ってきたものと思う。愛情がどのていどだったかなど分からない。自分がかけた以上を期待してはいけないが、往々にして期待するのも人情である。
籍を抜いているかどうかは知る由も無い。別れて住んでいる奥さんはどんな思いでくらしているのだろうか。弟が連絡しなくても、誰に聞くことがなくても、一連の出来事は知っているに違いない。しかし、奥さんの姿をみかけたという話は聞こえてこない。
ひとは誰でも他人と無縁で生きていくことはできない。無縁という言葉の裏には、そもそもあった縁が切れてしまったという意味がこめられている。無縁社会はおおげさすぎると感じるが、無縁にならざるをえない家庭が確かにそこにあった。
奥さんやこどもたちからも、一年に一度くらいは故人に手を合わせ、想いをよせてほしいと願うばかりである。当然「ほっといてください」と言われるが。