長岡花火大会のちょうちんは伊達ではありません。
長岡の夏がやってきた。ネットワークの環境設定作業で市内の小中学校を回っている。コンピュータ教室で1時間作業していると、汗でびっしょりとなってしまう。多少冷房が効いている職員室に入り、涼しさをほんの少し感じるだけでほっとする。日が暮れるころには、いつのまにか体力はそがれ、どんなにアクセルを踏んでも 頭の回転はスローダウンしてしまう。夏本番といえば長岡まつりからお盆までだが、そのお盆までこの仕事は続く。
▼長岡祭りが明日から始まる。アメリカ軍により、昭和20年8月1日深夜から2日にかけて空襲が行われた。千五百名弱が亡くなられ、翌年から復興祈念と慰霊の意味を込めて始まった祭りと聞いている。その戦災にあわれた方の話を聞く機会があった。現在81歳で、空襲当時は国民学校6年生。お父さんとお姉さんを亡くされ、お母さんとお兄さんが生き残った。
▼焼夷弾が次々に降ってくる中、火の海を逃げ回った体験談は壮絶だが、話の中で一番印象深かったのは、自分が大事にしていた人形の話だった。
「青い目をして金髪の人形を持っている子は学校に持ってくること」
敵国の人形を全て集め、焼いてしまうということだ。持っていることが分かっている先生はなぜ持って来ないのかと少女を問い詰める。すると絶対に手放したくない少女はこう答えた
「うちの人形はドイツの人形です。」
▼平成16年以降は中越地震からの復興の意味合いも加え、長岡市の最大イベントとして河川敷は整備を進め、二年前から観覧席を6万人増やした。二日間で100万人が観るイベントとしての花火大会は、全国で一二を争う人気となった。上空から眺める御霊もさぞかし喜んでいることだろう。戊辰戦争、大東亜戦争、中越地震。何十年に一度訪れる長岡の災難は悲壮である。
「長岡花火」の意義がこれ以上増えませんように。
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