ジャイアント馬場

明治43年生まれの祖母。七回忌法要を先日寺で執り行ってきた。住職から「何ものも表裏一体があり、人生もそれに漏れない」と説かれる。「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」の人生観をやさしくお教えいただいた。一区切りついたとの思いからなのだろう、両親はとても喜んでいた。

▼祖母の思い出にプロレスが欠かせない。大好きだったプロレスは毎週必ずみていた。ビデオなど無い時代である。見逃すと大変とばかりにその時だけはテレビの前に座っていた。当時お目当てはやはり全日本プロレス、郷土のヒーロー「ジャイアント馬場」だった。

▼意外とばあちゃん子だったその影響で、私も中学生のころまで良く見ていた。当時の選手は、ジャンボ鶴田、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン等々。厚生会館へは生の試合をよく見に行った。その後デビューするのがミル・マスカラス。スカイハイの入場テーマ曲にのって登場する新しいスタイルに、当時の少年達は興奮したものだ。

▼日本プロレスから細胞分裂が起こり、数えきれないほどの団体が乱立し、興業難から多くの団体が休止・消滅して行った。今、地元でのテレビ中継は1局だけである。此岸を見下ろし、祖母はどの選手を応援しているのだろうか。そして、彼岸のどこかでジャイアント馬場と会えただろうか。