親が病気するのは子が不孝だからである

昼に350mlの缶ビールをのみ、少し小さめのコップに二杯冷酒を飲んだ。ビールにこだわりはなかったが、日本酒は朝日山の百寿杯と決まっていた。夜の晩酌もまったく同じ分量を晩年の親父は飲み続けた。百寿杯といえば朝日酒造では一番格下の酒である。いろいろな品種の酒がまざっていて、都度味は微妙にちがうのである。それでも、この酒がいちばんうまいといいながら、変えることはなかった。

 

女房に言わせると「きれいな飲み方」なのだそうだ。確かに少なくすることもなければ、気分によって大酒をあおることもない。大声で叫んだり、こぶしを振り上げ暴れたこともなかった。いつも定量である。血液の病で入院したとき、二日ほど退院してよいとお許しをもらい、家に帰ってきたことがあった。そんなときも、飲んでいいはずもない昼酒をはじめ、ビール缶を開けるのであった。12月4日入院前日まで、そんな調子で飲み続けた。

 

食事で台所に入ってきてからは、酒を飲むための準備以外は一切しない男であった。冷蔵庫から缶ビールをとりだし、テーブルの定位置にすわり、コップに入れて飲む。飲み終わると、後ろに置てある一升瓶を持ち上げ、コップになみなみ注ぎ飲み始めた。つまみは出されたもの以外食べない。自分で冷蔵庫をのぞきチョイスするとか、レンジであたためるとかくらいはだれでもできると思うのだが、そんなこともするところをみたことはなかった。

 

ただし、出されたものをまずいなどといったこともないし、また、うまいとつぶやいたこともないと思う。このあたりは礼儀とうか、台所は女がするところ、それに文句を言わないという態度は一貫していた。この所作は義理のお父さん、姉の嫁ぎ先のお父さんに共通してる。みな昭和10年生まれなのである。

 

私は、よくないことを知りつつ、一回も酒を咎めることはなかった。幸い頭はしっかりしていて、ボケなどの症状は全くなかった。自分で調子が悪ければ止めるだろうし、それだけの判断はできるものと思っていたからである。ばあさんや家族にも止めるなと言った。制止したからといって止めないことはわかっていたからである。
 
ただ、他人が見れば私の態度は、まことに不孝に見えるのである。