七夕の短冊に書いた願い事が叶うと信じることはあっても、自分のやっていることが人の役にたっているとは考えないことである。


塩沼良順とう僧侶がいる。1999年金峯山史上2人目の「大峯千日回峰行」を成した人である。翌年「四無行」という難行も行い、大阿闍梨(だいあじゃり)を名乗っている大僧侶である。10年以上も苦行を続ける生き方に興味を持ち、小千谷市の青年会議所が主催した講演会を聞きに行ったことがあった。

 

▼テレビ番組でも特集を組んでいて、その番組を見ていたら、師匠という人がインタビューに答えていた。「この修行はなんの役に立つのでしょうか」との問いかけに「この修行は人の為にまったく役にたちません。」とたんたんと答えていたのが印象的であった。潔さというか、爽やかな感じというか、何か不思議な感じがしたのを覚えている。

 

▼経済評論家の勝間和代がブログを書く意味づけについて「何かひとの役に立つ小ネタを、」みたいなことをコンセプトとして書いていた。自分の役に立つことは、ひとの役にもたつという思い込みはどこからでているのだろうか。参考程度にしてくださいならまだわかる。自己満足のできごとを文章にすると、ときとして嫌味になることもあるから気をつけねばならない。

 

▼10年かけても、自分の役に立つかどうかなどまったくわからない。そんな中、ひとつのことを命がけで満行する姿に、ひとは見習いたいと尊敬もし、敬愛もするのである。苦行とブログでは比較にならないとは思うが、第三者がそう感じた時、はじめて自分自身が役にたつかがわかるのである。だから、仕事であれ遊びであれ、七夕の短冊に書いた願い事が叶うと信じることはあっても、自分のやっていることが人の役にたっているとは考えないことである。