マスコミの過剰取材問題 報道は大げさすぎるほど被災者支援となるのである。
中越地震の余震でのこと。あわてて事務所の3階から外へ避難したら、そこで取材中のテレビカメラマンは、ぐらぐら揺れが続く中、カメラを担いで離さず必至に撮影をしていた。恐怖の中でのプロ根性に脱帽であった。皆川健太君が妙見堰で発見されたその日は、遠目に報道ヘリコプターの灯りが見え、現地へ向かう音でかなりうるさかったと記憶する。
▼熊本地震で過剰取材が問題になっているという。給油の割り込み、弁当の写真をツイッターにあげた、役場への取材申し込みが殺到、避難所の避難者に向け強力ライト照射 、等々。絵づらは地震が過ぎてしまえば変わらぬ映像しかないし、特ダネなどないのだから、普段の様子を取材するしかない。そこへマスコミが大挙して押し寄せるのだから、トラブルが起きるのも当然である。
▼ マスコミが被災地を、ニュースはもちろんワイドショーや討論番組も含めて報道すればするほど、現地の様子がすべての国民に伝えられ「同情」が集まる。支援物資は山のように積みあがり、災害支援金募集が多くの企業や団体で行われることで、その後の復興に役立つこととなる。朝と夜のニューステロップだけでは、関心は全く高まらない。
▼SNSでは報道関係者の非常識をこっぴどく批判しているが、それはそれ。マスコミも仕事である。人命にかかわる大きな失態などしていなのだから、報道機関を1社にしぼれとかいう意見は暴論だ。その場のいざこざと、多くの理解を得なくてはならない復興とを天秤にかければ、報道は大げさすぎるほど被災者支援となるのである。