高頭仁兵衛翁生家跡 河内公園(こうちこうえん)
高頭仁兵衛の生家跡は、現在河内公園(こうちこうえん)となっている。
生家へは、五歳のころ遊びに行ったことをかすかに覚えている。
頌徳 儿翁髙頭仁兵衛氏之碑
石黒忠篤謹書
表面
頌徳 儿翁髙頭仁兵衛氏之碑
背面
高頭仁兵衛氏ハ明治拾年五月
廿日深澤村ノ名門ニ生●長●●
三島中洲先生ノ塾ニ学●ニ深澤校
●創立セル父義宗氏ノ遺志ヲ継●
教育ノ●興ニ力ムル外信用組合
耕地整理組合等ヲ組織シ郷土ノ
●業文化発●展ニ奇興スル●●絶大
●●更ニ又日本●兵会●創設
氏ハ子孫ノ為ニ美田ヲ買ワズ●
依テ氏ノ遺サレタル鴻業隠レ
タル徳行ヲ●民齊シク敬慕シ
●ニ碑ヲ建ニ恩徳ヲ頌之
昭和三十年六月
深沢学区民三百十五名建之
高頭仁兵衛の碑
明治十年(一八七七)三島郡深沢村(長岡市深沢村)に生まれた。深沢小学校から片貝高等小学校を経て二松学舎に学んだ。そのかたわら皇典講究所で自己の研修に励んだ。
幼少の頃から病弱であったが、諸山に登頂した。
明治三十八年に主唱して日本山岳会を創設した。代表的な著書の「日本山嶽志」はわが国山岳情報の集大成として登山愛好者の増大に寄与した。
昭和三十三年(一九五八)没。その生涯は、仁慈にして清高であった。
長岡市教育委員会