髙頭仁兵衛翁壽像銘文
髙頭仁兵衛翁壽像銘文
髙頭翁名は式字は義明仁兵衛と稱し海峰と號す
明治十年五月北越三島郡深才村深沢に生る家は
累代の豪農にして世世学を好み郷党に望あり
翁生れて虚弱一日塙保己一の傳を読みて悟り以來
努めて山川に親み健康を自得す
十三歳初て彌彦山に登る山岳踏躋の趣味を
解するの始なり
十九歳家業を承継す之より家事を見るの傍或は
山野を跋渉し或は古今の史乘地誌を博搜し本邦
登山發達の跡を探る明治三十九年公刊せし日本
山嶽志は実に翁積年研鑽の成果にして敍述精緻
引用該博當年における我國山岳知識の集大成たるに
止らず斯道文獻の大宗にして古典たり
明治三十八年翁等發起して日本山岳會を創立す
時に年二十九爾來年を閲すること四十有五此の間
日本登山界の先覚として後進を誘致掖し登山道の
發展に資するところ甚大なり
昭和八年擧げられて日本山岳會會長となり同十年
名譽會員に推される翁性恬淡些も名利を求めず
悠悠酒間に自適し齢古稀を超えて彌健なり
茲に壽像を獻じその長壽を祝す
昭和巳丑初夏 日本山岳會會長 武田久吉撰