冒険家から一番遠いところのにおいだけが残った栗城史多氏の遭難死


もう数年前、娘の勤める美容室の組合で、ある登山家の講演会をひらくという。聞きに行かないかとたずねられたので、二つ返事で行って来た。美容組合の熱心さが効をそうして、会場はほぼ満員であった。登山というと年配者が多いのかと思っていると、以外に若者が多い。その時の講演者が先日遭難死した栗城史多氏であった。

▼彼のことはインターネットやテレビなどを通じて、多くではないが知っていて、興味があった。現場の登山風景を自ら撮影し、そのときのコメントを録音し発信しているからだ。苦しい息遣いは、時々の感情をすなおに記録していたようの思えた。SNSの発信力を強化し、ファンの若者に共感を呼んでいたらしい。ただ、その撮影には多くの疑問符がついていた。

▼彼の登山スタイルは単独登山ということになっている。だから、自分が歩いている姿を撮影はできない。どうやっていたかは想像に難くなく、たとえばクレパスをはしごで渡るシーンを撮影しようとすると、彼は一度はしごを渡りきって、対面にカメラをセットする。録画をオンにした後、はしごを渡ってもどり、もう一度はしごを渡り返すのである。

▼この場面が放送された回をみて、私は彼の登山のうそっぽさを感じた。なにか売名行為的な、商業的な、そして偽善的なにおいがしたのである。甘いことをいえば、冒険家から一番遠いところのひとと感じたのである。「この山の頂上を踏みたい」という純粋な思いはひとかけらもないように思えたのである。